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倉石信乃『反写真論』

在庫切れ

私、私、私と簡単に口走るな!
今、ここの事態とのみ短絡せよ!

 

反写真論書影

写真に「ついて」語ることは情報重複的である。写真はそれ自体簡明なメディアであるから。写真は既に語っている。それも「語られたものを語っている」。

写真はいつから原初の驚きを捨てて、予定された観念のアリバイ工作としての挿図になり果てたのか。収拾不能な「次元の差異」を抱え、訳の判らない、途方もないものでありながらも、過剰なまでの透明性を備えてもいたメディアであるはずの写真。それがいまや、主題に関する調査結果の披瀝の場としてのみ、流用されているかのようだ……
――本文より

■目次

1 写真使用法

写真のように書く
写真使用法
反写真論

2 写真家の方へ

真実の手──ロバート・フランクの「言葉」について
PRIVATE GIFT──荒木経惟の日記
潜像に抗して──荒木経惟のカラーコピー作品
写真は盗まない、それは与える──ナン・ゴールディン『I'll Be Your Mirror』
風なき野道に遊戯をすてよ──萩原朔太郎撮影の写真
犬と人間──森山大道小論
最初で最後の街──森山大道『Daido hysteric No. 8 1997 大阪』
補正する鏡──アンディ・ウォーホルと写真
都市はマトリクスではない──倉田精二『ジャパン』
純粋な郊外──ホンマタカシ『Tokyo Suburbia』

3 写真の権利について

殺風景のハードコア──金村修《Keihin Machine Soul》
写真という乗物──吉増剛造の写真のための二十の断章
AT LAST I AM FREE──権富問と写真的身体

4 Direct Mails 写真論以後

作者の位置
ファック・ライフ──セルフ・ポートレイト異論
窓を運ぶ──盲目的に
E・A・ポー『楕円形の肖像』を読む
旅行者になる──写真の方法から態度へ
「タイプ」について1──ファン・ゴッホ/土門拳
「タイプ」について2──アウグスト・ザンダー
写真を「とる」ということ
羊に育てられて──編集者M氏への手紙

口絵掲載写真(カラー・ダブルトーン)=ロバート・フランク/荒木経惟/森山大道/ベアト・ストロイリ/ホンマタカシ/金村修/倉田精二/吉増剛造/ウォーカー・エヴァンズ/ナン・ゴールディン他

 

倉石信乃略歴
1963年生まれ。1987年、多摩美術大学美術学部芸術学科卒業。詩人、批評家。現在、横浜美術館学芸員として、「ロバート・フランク──ムーヴィング・アウト」展、「菅木志雄──スタンス」展、「中平卓馬 原点復帰─横浜」展などを担当。1998年、本書収録の「写真使用法」で第4回重森弘淹写真評論家賞を受賞。
■〈フォト・リーヴル 06〉
■『反写真論』
■著者=倉石信乃(くらいし・しの)
■頁数=256頁
■体裁=四六判
■定価=2500円+税
■ISBN=4-309-90363-0
■発売日=1999年10月1日
■編集・発行=オシリス
 〒150-0011渋谷区東3-21-14-402
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