初出 | 書籍掲載 | ||||
まずたしからしさの 世界をすてろ |
来たるべき言葉のために | なぜ、植物図鑑か | 決闘写真論 | ||
I 同時代的であるとはなにか 1965-1970 | |||||
映像は論理である ──東松照明とグラフジャーナリズムの現在 |
『日本読書新聞』1965年2月22日号 | ||||
不動の視点の崩壊 ──ウィリアム・クライン『ニューヨーク』からの発想 |
『フォト・クリティカ』1号、1967年12月 | ○ | |||
狂気の美学のパラドクス ──細江英公写真展「とてつもなく悲劇的な喜劇」 |
『日本読書新聞』1968年4月15日号 | ||||
写真にとって表現とは何か ──「写真100年 日本人による写真表現の歴史」展 |
『デザイン批評』6号、1968年7月 | ○ | |||
物質的基盤を失った言葉 ──写真展の流行とその背景 |
『日本読書新聞』1968年9月30日号 | ○ | |||
編集後記──『プロヴォーク』1号 | 『プロヴォーク』1号、1968年11月 | ||||
リアリティ復権 | 『デザイン』1969年1月号 | ○ | |||
証拠物件 | 『デザイン』1969年3月号 | ○ | |||
同時代的であるとはなにか? | 『デザイン』1969年5、6、7、8月号 | ○ | |||
言葉を支える沈黙 | 『朝日ジャーナル』1969年9月14日号 | ○ | |||
物の影の底にあるもの | 『アサヒカメラ』1969年12月号 | ||||
II イメージからの脱出 1970-1971 | |||||
写真は言葉を挑発しえたか | 『日本読書新聞』1970年3月30日号 | ○ | ○ | ||
映画はすべてドキュメンタリーである | 『日本読書新聞』1970年4月27日号 | ○ | ○ | ||
グラフィズム幻想論 | 『デザイン批評』11号、1970年4月 | ○ | |||
風景への叛乱──見続ける涯に火が… | 『グラフィケーション』1970年6月号 | ○ | |||
血ではなく、赤い絵の具です ──ジャン=リュック・ゴダール『中国女』 |
『デザイン』1970年7月号 | ○ | |||
作品は現実の一部である ──ジャン=リュック・ゴダール『東風』 |
『日本読書新聞』1970年8月17日号 | ○ | ○ | ||
作品の背後になんかゴダールはいるはずもない | 『日本読書新聞』1970年9月14日号 | ○ | ○ | ||
映像の匿名性と党派性 ──ジャン=リュック・ゴダール『イタリアにおける闘争』 |
『日本読書新聞』1970年11月23日号 | ○ | |||
イメージからの脱出 | 『デザイン』1971年1、2、3、4月号 | ||||
日付と場所からの発想 | 『日本読書新聞』1971年7月26日号 | ○ | |||
III 記録という幻影 1971-1973 | |||||
モロッコ、絵はがきの風景 | 『グラフィケーション』1971年12月号 | ○ | |||
現代芸術の疲弊 ──第七回パリ青年ビエンナーレに参加して |
『朝日ジャーナル』1971年12月10日号 | ○ | |||
写真、一日限りのアクチュアリティ | 『アサヒカメラ』1972年2月号 | ○ | |||
制度としての視角からの逸脱は可能か | 『日本読書新聞』1972年2月28日号 | ○ | |||
日本の現実を凝視する視線の両義性 ──東松照明『I am a king』 |
『日本読書新聞』1972年3月27日号 | ||||
記録という幻影 ──ドキュメントからモニュメントへ |
『美術手帖』1972年7月号 | ○ | |||
複製時代の「表現」とはなにか ──「マッド・アマノ=白川義員裁判」をめぐって |
『朝日ジャーナル』1972年9月29日号 | ○ | |||
日本的なるものとジャーナリズム的なるもの | 『放送批評』1972年11月号 | ○ | |||
写真家いかに食うか、食うべきか ──まずみずからをエピソードと化せ! |
『美術手帖』1973年1月号 | ||||
IV なぜ、植物図鑑か 1973-1975 | |||||
なぜ、植物図鑑か | 『なぜ、植物図鑑か』1973年2月 | ○ | |||
近況──それからそれから波高し | 『美術手帖』1973年10月号 | ||||
まったくのゆきあたりばったり──私の読書 | 『芸術倶楽部』1973年11月号 | ||||
ユジェーヌ・アッジェ ──都市への視線あるいは都市からの視線 |
『アサヒカメラ』1973年11月号 | ○ | |||
客観性という悪しき幻想──松永優事件を考える | 『朝日ジャーナル』1974年1月25日号 | ||||
とりあえずは肉眼レフで | 『近代美術館ニュース』1974年8月号 | ||||
わが肉眼レフ──一九七四・沖縄・夏 | 『日本読書新聞』1974年9月9日号 | ||||
なにげない視線、やわらかな息づかい ──『木村伊兵衛写真集 パリ』 |
『グラフィケーション』1974年12月号 | ||||
写真による写真批評──篠山紀信『晴れた日』 | 『日本読書新聞』1975年6月2日号 | ||||
沈黙の中にうずくまる事物 ──ウォーカー・エバンズにふれて |
『アサヒカメラ』1975年7月号 | ○ | |||
歴史への意志──シュルレアリスムの潜在的な力 | 『美術手帖』1975年12月号 | ||||
「第三世界」と世紀末の映像 | 『日本読書新聞』1975年12月22日号 | ||||
V 視線のつきる涯 1976-1977 | |||||
奄美──波と墓と花、そして太陽 | 『アサヒカメラ』1976年2月号 | ||||
身振りとしての映像 ──ブレボケは様式ではなかった |
『アサヒカメラ』1976年3月号 | ||||
旅を拒みE線上のアリアを唄おう | 『アサヒカメラ』1976年3月号 | ○ | |||
視線のつきる涯 | 『アサヒカメラ』1976年5、6月号 | ○ | |||
個の解体・個性の超克 | 『アサヒカメラ』1976年8、9月号 | ○ | |||
篠山紀信論 | 『アサヒカメラ』1976年11、12月号 | ○ | |||
街路 | 『現代詩手帖』1977年7、8、9、10月号 | ||||
先制の一撃──見ることと読むこと | 『早稲田文学』1977年10月号 | ||||
インターリュード | 『アサヒカメラ』1976年7月号 | ○ |